ののちゃん さん

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なんかなんかなんか!

■すみっこ の応援レビュー

理由は分からんが、ジョゼと虎と魚たちを思い出した。なんていうか、すっきりした。後味が悪い!っていうよりは、ざまあみろ!って感じだった。

学園ものがすきなんだなぁ、ピスタさんは。と思っていたけれど、ポエマーさんの匂いがする。一発殴ってやりたいんだ。だから漫画を描いてるんだ。みたいな。ツンデレ?これからも期待!ママ視線に期待!

 

ここからは漫画を題材に、勝手な駄文です。。。

 

漫画によくある"可愛くてイジメられる子"には出会ったことはないけれど、"可愛くないことに自虐的なイジメられっ子"は何例か見たことがある。中学までしか共学じゃなかったけれどね!ウチの学校の場合は、イジメ、ダメ!みたいな活動が強かったし何よりムードメーカーがそういう主体を持っていたから陰湿ないじめは小学生の時の方が多かった気がする。

私が最初にイジメだと気づいたのは小学一年生の時、貧乏人の子と不細工な子はイジメられると感じていた。そして私もまたよく足を引っ掛けられては転んでいた子だった。

私がイジメられっ子にならなかった原因は先生がそれを叱ってくれたからだろうか。それとも私が泣かなかったからだろうか。大人しい私は友達を選ぶときに、よくハグれている子に声をかけていた。それは必然的に、イジメられっ子が増えてしまった。しかし、そんな悲しい事実と相反して友達が減ることはなかった。まずは近所付合いでたくさんの友達がいた。幼稚園から幼馴染の好きな子もいた。

あぁ、そうだ。私はもう幼稚園から恋をしていた気がする。それでいろいろと敏感になった。だから自然と弱い者の傍にいた。

中学に上がってからは逆で、強い者の傍にいた。正確に言えば、遊ぶ友達は小学生からつるむオタク友達と部活友達で、学級の中では強い派閥に寄り添っていた気がする。

常に二つ以上の所属がある状態は奇しくも3歳くらいから習い事を通っていた私には当たり前だったので、どうとも思わなかったが、これはイジメを回避できた理由の一つだと思う。自殺とは違う。

自殺を止めた理由は間違いなく恋である。嫌なことはたくさんあったけれど、恋をしているうちは死ねないと思う。今だってそうだ。あの子はどんな人になってるのかな?ってそれだけで幸せになる。あるいはこれは順序が逆なのかもしれない。嫌なことがあったから恋をして逃げる理由を欲しがったのかもしれない。私はそちらの方がしっくりきて気分がいい。人間が動物だという枠にしっかりとハマる気がする。それは決して綺麗や素敵なものではなくて、当たり前の衝動であるということだ。

イジメは恋と同じ反応を示しつつ、行動が異なっただけの話。小学生の頃は可愛い子は嫉妬されたけれど、中学では友達になりたいと言った子が多かった。それは私の友人を選ぶ基準と似ていた。私は男社会に育っても女の心持ちだったのかもしれないと、どこかで感じていた。何よりおしゃべりが好きだった。それだけは彼女らとよく似ていた。

大人しい子だけれど、おしゃべりが好きなわけで、私は小学3年生の時に初めて学級問題でのイジメを認識した。というか、せざるを得なかった事件があった。性格がガサツで短気なA君は友達も少なく、だからこそ私とよくつるんでいた。習字の時間に、服に直接「バカ」と書かれたが、背中に書かれて気づかないままいくらかの時間を過ごしていたのだろう。授業が終わりかけたころに、皆が手洗い場で筆などを洗っていたのだが、私はその時初めて「バカ」見て、「A君、背中に何か書かれてる!」と今でいうKY的な発言をして第一発見者として無駄に注目された。終わりの会の議題の「犯人探し」では、もちろん注目された。しかし、やってないものをどうすることもできないので私は何だかふがいなかった。誰がやったんだよ!早く帰りたいよ!あいつがやってるの見たけれど…。と思う子らとは明らかに違う立場で疎外感を感じていた。

しかし、その出来事は私の生涯を変えたと思う。

犯人は後日名乗り出て、私とA君に謝った。そして犯人と一緒に遊ぶほどの仲になった。やんちゃな連中と仲良くなり始めたきっかけなんてのはそんなものだと思う。でもそれがなければただの大人しい子で終わっていた気もする。

私にあったのはそうしたきっかけと、素直になれるほどの懐があったからだと思う。それは紛れもなく、家庭環境によるものが多かった。

そして、絵を描くという行為が活きていた。

語ればきっと、一か月くらいは語れると思う。運動会の旗を描いたり、学校の壁に飾られるデザインも手伝ったり。成り行きで出来てしまう結果に不思議な感覚と自信を覚えて、今、私がこうして何かを書きたいと感じている。それは何となく自然な気がした。

無理はする。しかし、自然からは外れない。それが適度に生きるコツだと思う。

何かを目指したり、何かを願うことを否定こそしないけれど、見下したりすることはしょっちゅうだ。辞めるなら辞めればいい。好きならば続けていればいい。しかし、理由を求めるのは実にくだらない。それはいつも思う。

口説かれて負けるくらいなら、神様に縋ればいい。私はそれを、決して行わない。感謝こそするが、報いを払えとは思わない。私は彼の為に何一つ働いたことはないからだ。そして、何一つ感謝されたことはないだろう。人間は違う。どんなに嫌な奴でも助けてやれば感謝するし、どんなに好きな奴でも傷つければ怖がられる。だからこそ信じるに値する。そして、それらの行為に対して、意思を持って動じない程の何かを持っている人こそ、尊敬に値すると思う。

私は生まれてこのかた、人物に対して凄いとは思うが、尊敬したことはない。某手塚先生は凄い人だ。でも、尊敬には値しない。彼もまた、ありがちな人間だった。何故だかそんな風に思った。

自分が一番なわけでもないが、自分にも負けないものがあると思っていた。今になって、それがなんだか少し分かった気がする。

 

 

でもそれはきっとみんながしっていて

ことばにできないものだとおもう

 

ぼくはそれに恋をして

なんぜんかいものプロポーズをした

 

返事はまだ無い。

 

 

おやすみなさい。そして、おはよう!

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